アートマネジメントは、1960年代にアメリカで、ビジネスのマネジメントを芸術に応用する試みとして始まりました。当初は美術館や劇場を運営するノウハウ、芸術家や文化活動の支援などが主要なテーマでしたが、半世紀が経過し、アートや社会のあり方が大きく変化した現在、その射程や課題に見直しが必要とされています。また、アートマネジメントは、都市の芸術活動を念頭に構想されましたが、人口減少や少子化に直面する九州・沖縄地域では、その前提についても再考が迫られています。
こうした問題意識から、平成27年度の「新しい交流の場を切りひらくアートマネジメント」では、アートの企画を社会的コンテクストの中に位置づけ、その潜在的可能性を社会に訴えながら、戦略的に実現していくスキルを身につけることをテーマとし、非都市型のアートマネジメントを模索してきました。とくに重要視したのが、自分の好きなアートを広めるのがアートマネジメントではないということです。自分の信じることを盲目的に広めるのでは、新興宗教の勧誘と同じになってしまいます。そこで、地域の自然資源や文化資源を知り、それをうまく活用するスキルや、地域の人々を巻き込むスキルを身につけるための基礎的・実践的プログラムを実施しました。ゲスト講師の何人かが口にした言い方を借りるなら、「本当に面白いことを、面白いやり方でやる」ということです。
プログラムの実施を通して、キックオフ・フォーラムで問われた「アートは手段か目的か」という問いに答えが見えてきました。アートを広めることが目的になっては、先述したように新興宗教と同じになってしまいます。一方で、アートが手段化したら(たとえば経済を活性化する手段になってしまったら)、それはもうアートとは言えなくなってしまいます。実際、アートが手段なのであれば、そのマネジメントはビジネススクールで学ぶことができるはずです。結局のところ、アートマネジメントは、アートをいったん目的として、アートを体験する場を人々に供給しつつ、それを一方で手段として、人と人との関係を築くことを促すものと考えるべきなのではないでしょうか。
そうだとすれば、重要になるのは、「デザイン」(設計)スキルでしょう。つまり、社会の中にどんな(実践としての)アートを、どのようにデザインすれば、人と人がうまく結びつき、お互いの潜在力を引き出し合うことができるのか、ということです。デザインはある目的のための手段なので、アートとは相容れません。しかし、アートをマネジメントすることはデザインであるべきです。もちろん、うまくデザインをしたからといって、思い通りの結果が得られるわけではないかもしれません。でも、セレンディピティが生まれる確率を高めるための企画や運営はできるはずです。そうした企画が、次なるセレンディピティを生み、その新しいセレンディピティが更なるセレンディピティを誘発する。アートマネジメントの醍醐味は、まさにこうした創造性にあるのではないでしょうか。平成28年度は、この点に照準をあてたプログラムを展開していこうと考えています。引き続き、よろしくお願いいたします。
(九州大学ソーシャルアートラボ 平成27年度活動報告書から転載)
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